隠し幽室 2
「いつから読んでるんですかそれ」
少女が少年に話しかけた。
少年は口を開かない。
ため息を付いたものの、構わず話を続けた。
「にしても、怖いと思いませんか」
「そこに死体が転がってるなんて」
少女の言う通り、本が何冊か置いてある机の、ソファ側から見て右には女子高生らしき死体があった。
だが少女自身はそんなに怖がっている様子ではなかった。
少女はソファの後ろにもたれて、少し怪訝そうな目つきで少年を見る。
本に熱中している、というわけでもなくただ流し読みしているようだった。
丁度読み終わったらしく、少年は閉じて机に置いた。
そこで少年は不意に少女の方に振り返った。
少年の予測出来ない行動に、二人はしばらく眼を合わせていた。
しかし、少女はそのしばらくしか見ていられなかった。
見ているだけで腐り、堕落していくような。どこまでも深く堕ちていきそうだ。
少女は平常心を装っていたが、内心はすっかり動揺し、怯えきっていた。
『人間を見ていたのかすら疑いたくなる…、あんなのがいるだなんて』
『五歳の頃から犯罪者を見てきた。彼らの心理は分かってた。分かってたはずなのに!』
少女はゆっくり振り返り、少年を見た。
少年は本を読むのをやめて、虚空を見ていた。
どこを見るわけでもなく。
ほっとしたのもつかの間、少年は急に
「怖くないの」
とだけ言った。
思わぬ所で少年は第一声を発した。
少女は呆気に取られ、「えっ?」と聞き返すような返事をしてしまった。
少女はすぐに言い直した。
「あっ、ああ…やっぱり怖いですよ。だからこうやって気を紛らわそうとしてるんです」
「でも、今までずっと返してくれませんでしたよね。どうしてですか?タイミングが悪かったとかでしょうか?」
まだ動揺は収まっていなかったが、少女は何とか最後まで普通に言えた。
続けて少年は、空中に指をあてもなく滑らせながら答えた。
「喋る必要が無かった。それにさっきの女子高生は会話が通じなかった」
滞りもなく言った。
少女は『だから殺したの?』と言いかけてやめた。
また少女の背後から、不意に声が聞こえた。
「あとは何も話さない」
それだけだった。
少女には内容が飲み込めない。
ただ、一つの可能性が頭をよぎった。
その可能性を考えるだけで気が狂いそうだった。
一言だけ少女は言葉を発した。
「どうして?」
「全部嘘だから」
あっさりと、そしてはっきりと少年は答えた。
白い空間に浮いた指は止まらない。
「全部…そうなのかな」
負けは確定していた。
最早最後の悪足掻きである。
「そう。怖くないのに怖いと言った。そして僕を殺人犯と思っていながらさも友好的に接し、情報を聞き出そうとしていた。言動どころか態度も何もかも大嘘」
少年が言い終わると、少女は無言となった。
そうして少女は大きいあくびをし、やつれた表情で言った
「じゃあ最後だけ、正直に聞くよ…」
「この娘も、あなたがやったの?」
机の上の死体を指さして。
少年は指を泳がせながら答える。
「違う」
「この女子高生は、勝手に死んだ」
少女は何も言わなかった。
長らく脈絡無く、眼に見えない曲線を描き続けた人差し指の飛行は終わりを迎えた。
何の狙いもなくどこも目指していなかったそれは、机に横たわる死体に突き刺さった刺身包丁に到達した。
少年はしばし自分の指と包丁の柄を見比べ、柄の先をつまむようにして引き抜いた。
包丁の刃の半分より下には、乾いた血がこびりついている。少年は気にしない。
少年は包丁を順手に持つ。
少女の方に身体の向きを変え、包丁を少女の右肩の上あたりで動きを止めた。
少女は無抵抗のまま。
一切の躊躇をせず、少年が持つ包丁は左肩下の方向に向けてスライドされた。
その間には首があった。
首に斜めの赤い線が出来、そこから血が止めどなく溢れる。同じ角度でセミロングの髪も切れ、ソファや床に散った。
脈打つように少女の首から血が流れ続る。見た目以上に傷は深かった。
ぐらり…と少女の身体が傾き、倒れた。
少女の首の、近くの床は机動揺に赤くなっていった。
一方少年はそんな事は気にもとめず、白い壁を見ている。
間も無く壁だった所は裂け目が生まれ、黒く大きい布を羽織った誰かがその間にいた。
誰かは奥にある何かを引きずって、少年のいる白い部屋に押し入れ、ドアを閉めた。
そこはもうただの壁になっていた。
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