合わせ鏡とcalm 1
 
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さらさらと、水の流れる音がする。
どこから聞こえているんだろう。
後ろを振り返ると透き通るように綺麗な川があった。
「奏恵。俺、顔洗った方が良いかな?」
俺は隣で横たわる恋人に話しかける。
しかし、何も答えてはくれない。

わかってる。もう奏恵は声を出すことも、笑いかけてもくれないんだ。
俺もそんなに馬鹿じゃない。
でも…少し期待してしまうんだ。
こうして話しかけていれば、いつか息を吹き返して…
いつものように隣で笑っててくれるんじゃないかって。
所詮は俺の自己満足に過ぎないことは、ちゃんと理解してる。

ついに堪えきれなくなり、俺は涙を流しはじめる。
その涙は奏恵の頬に落ちる。
「どうして…どうして俺が、死ななかったんだろう…?」
もう何も解決しない。俺が泣いたって、嘆いても、何をしたって…無駄なんだ。

『許しておけるのか?』
どこからか声がした。
少しして、その声の主が自分だということに気付く。
いや…正確には声は出ていない。自分の心の中で、別の自分が言ったと表現すればいいのだろうか。
『あんなにも愛していた彼女を、こんな目に遭わせた奴を』
別の自分がさらに追い打ちをかける。
「俺に出来ることがあるって言うのか」
『そう、奏恵は生き返ることはないし、あの世で喜んでくれるとも限らないがね』
暫くの間、内なる自分との対話が続く。
『そうなれば、やることは一つだ』
「…」
やがて、結論にたどり着いた。
『復讐さ』
「ふく、しゅう?」
『奏恵のこの傷を見てみろ』
「首のか?」
『そうだ。この傷のせいで奏恵は死んだんだ』
『放っておけるのか』
『同じ目に遭わせてやりたいと思わないか』
「人殺しを…」
『そうだ』
「俺なんかに出来ると思うのか…?」
『出来るさ。その悲しみを刃に変えて…』


「…分かった」
奏恵を奪われた今、失うものなんて何もない。
かつての奏恵の言葉が蘇った。
『あなたの好きなように生きて。私はどこまでもついていくから』
そう言って、失敗した時もいつも励ましてくれたっけ。
これからもあの世で見守ってくれよ。

俺は、悔いのないように生きるから。

                   *
『久藤楓くん、久藤楓くん。至急職員室に―…』
生徒呼び出しの校内放送。どこの学校でもやっているよく聞くものだが、他の学校とは…いや、ほかの生徒とは決定的な違いがあった。
この放送が流れた瞬間、一人の男子生徒の周りに人だかりができていた。
「おーい久藤。また職員室から呼び出しだぞ」
「何か進級してから呼び出し多くないか?今日だけでも6回目じゃん」
皆驚きの言葉を口にしている。
その人ごみの中心にいる生徒とはいままさに呼び出された、久藤楓である。
「またあの人か。まったくしつこいな…報酬貰ってからじゃないと引き受けないって言ってるのに」
そんな独り言を言いながら、人ごみをかき分けながら教室を出て行った。

「あぁ、久藤くんは君かね」
久藤が職員室に入ると、受話器を持つ教師に聞いた。
「はい。たぶん依頼者からの電話ですよね。どなたでしたか」
「相手は鏡楼学校の校長と言えば分かると」
「はあ、やっぱり…」
教師の言葉を聞くと面倒そうに少し考えこんだ後、教師に伝言を頼んだ。
「仕方ないですね…放課後そちらに伺うと伝えてください」
久藤は教師の言葉を見届けないまま職員室から出て、足早に駆けだした。
「わかった。…ええ、授業が終わってから伺うとのことです。はい、はい…それでは」
「何回も電話で呼び出されてますね、あの子。何か大きい活動でもやってるんですか」
電話を切ったのを確認して別の教師が聞いた。
「うむ…どうやら部活動の関係らしい。KNBとかいう」
「KNB?」
「『高校生が出来ることなら何でもやる部活』の略だとか」
「略称なんですね…」
質問した職員は苦笑いのまま仕事に戻った。
                *
「それでは、こちらに座ってお待ち下さい」
「はい。…待ってればいいんですね?」
「ええ。じきに校長がいらっしゃいますから」
ここまで案内してくれた女の人は、最後まで笑顔のままどこかへ行ってしまった。
正直なところ、俺は今すごく怖い。
何故ならここは…知る人ぞ知る『犯罪者を育てる学校』だから。
つまりここには人を平気で殺すような奴もいるってわけで、ライバルを減らそうと銃をぶっ放すような奴がいる…
…と、情報屋に聞いたんだが。
変だな…見たところ最低限の秩序は保たれているようだ。
いつ刃物が飛んでくるか分からないところだって…
「あ、もういらっしゃってましたか」
声は完全に男…というか少年のようだが、首から50センチくらい伸びている長い髪の毛が目立つ。
しかし、犯罪者予備軍の巣窟と言われるこの学校を束ねてきた人物とは思えなかった。
「えっと…あなたが校長の?」
書類を溢れるほど持ちながら向かいのソファに座った彼に、念のため聞いてみた。
「いえいえ、私は本物の校長ではありません。あの人なら今頃はどこかのチンピラから金を奪い取ってゲーセンにでも行ってますよ。彼女は職務放棄が多いと副校長が愚痴ってました」
腕に抱えていた膨大な資料を前の机に置きながら、彼は答えた。
「ゲーセンに…ですか。転校の手続きをそっちのけで?あと彼女ってことは校長は女性の…」
机に置いた書類の選別を始めながら、俺の言葉を遮った。
「あのー悪いんですけど質問攻めはご遠慮ください。私はあくまで代理校長ですから。教員の話によると来週には学校に来るそうですし、詳しいことはそれからでも遅くありません。…さて」
書類の選別を終え、伸びをしてから、いよいよ本題にはいった。
「聞くところによるとこんな危険な所に転校してくるらしいですね。考え直す気はありませんか?」
代理といえどもここがどんな所かは理解しているらしく、俺の決意が本当かどうか確認をとった。
復讐への第一歩ということを感じさせられ、自然と口調も重々しくなる。
「勿論です。ここの正体も知ってますし、…俺はどうしてもここに来ないと行けないんです」
最初校舎に入った時、予想より安全に見えて呆気にとられたけど…よく見ると銃弾の跡や刃物が刺さった傷が校舎のそこかしこにある。油断してはいけない所なんだと、改めて思わされた。
奏恵を殺した奴がここの生徒ということはまんざらでもないらしい。
そう、俺は復讐のためにここまでやってきたんだ。今更止めろと言われてもできっこない。
そんな俺の決心を察したのか、机に積まれている書類から転校生に必要事項を書くのであろう紙を引き抜いた。
その拍子に上の書類がなだれ込むようにしてこちらに落ちてきた。
「落ちちゃいましたか…悪いんですが手伝ってもらえませんか?二人ならすぐ片付きますから」
ざっと400枚くらいだろうか。確かに一人では骨の折れる作業になりそうだ。
俺は身をかがめて拾おうとした。

ヒュッ。

何やら風を切るような音がした。
しかも、すぐ近くを通っていったような…
後ろを振り向いてみる。

…サバイバルナイフが壁に刺さっていた。
血の気が引いていくのが分かった。
「よかったよかった。ちゃんとかわしてくれましたね」
代理校長が、拍手を始める。
「驚いたでしょう?あなたには人には譲れない大切な目的があるようですが、それだけでは生き残っていけませんからね。ある程度の身体能力があるかどうか測るために入学予定者にはこうしたテストを受けてもらうのです」
…前言撤回。やはりここは油断ならない場所だ。俺の期待を(悪い意味で)裏切らない。
もし俺がこの書類を拾うのを止めなかったら…刺さってる位置からして首を狙っていたようだ。
とすると、今頃は奏恵のところへ逝っていたかもしれない。
「いやー、あなたはラッキーですよ。私が代理で来ていなければ…恐らく彼女ならば大量のナイフをマシンガンの如く投げまくってそれこそ串刺しになっていたでしょう」
恐ろしいことを平然と話す。そんな攻撃をかわして入学に成功した生徒がいるってのか。
「代理校長」
ここ校長室のドアが開いた。
さっきここまで案内してくれた女性だった。
「校長からお電話です。生徒の数を50人まで減らしておけと。手段は問わないそうです」
淡々と要点だけを話す。外見こそ綺麗なのだがどうにも冷たい印象なのは俺だけだろうか。
一方代理校長の反応は…
「また仕事が…断れないようにこんな手を使うなんて……」
少しの間頭を抱えて考え込んでいた。
そのうち急に吹っ切れたように、大声(奇声かもしれないが)を出して女性に伝言を頼んだ。
「じゃあ報酬は2万円増やしてほしいと伝えて下さい。その代わり2時間以内に終わらせるとも」
「了解しました」
女性はそのまま部屋を出ていこうとした。…が、それを代理校長は制止する。
「すみません、もう一つ頼んでもよろしいでしょうか」
「何か?」
「ここ、交代してほしいんです。私は準備をしなくてはいけなくなったので」
「了解しました。その様子ではこれに連絡先を書いてもらうだけで手続きは終了ですね」
「そうそうそんな感じ。じゃあね!」
代理校長はこの瞬間も惜しいというように校長室から飛び出していった。

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